社長のなんでも日誌

仕事に追われる日々ですが、心に留めておきたい、そんな言葉を綴っていきます。

夢幻

 今日で50歳になりました。自分もようやく50歳、不惑の歳を
10歳も超えたのかと思うと、いまだに迷い続ける自分が
恥ずかしくなります。
 思いおこせば、50年間、自分は迷いの連続だったような気がします。
様々な失敗や、成功。そして苦い後悔の情が迷いの後に襲ってきます。
長いあいだ、その繰り返しでした。
 そして50歳になった今、
「自分は50年間何をしてきたのか、そして、残された
時間をいかに過ごせばよいのか。」
迷わずにその答えが出せたらすばらしいことですが、
そこには、相変わらす迷っている自分がいます。
 信長が好んだという有名な歌、「人間50年、下天のうちを
くらぶれば、夢幻のごとくなり、」
信長は50の声を聞く前に滅びました。しかし、その功績
は、いまでも万人の知るところです。
夢幻のように終わっていく人生ならば、せめて自分の生きてきた
足跡を後の世代に少しでも伝えたい。
50歳の誕生日を迎えた今、自分が思うのは、そのようなことでしょうか。
  1. 2008/10/05(日) 10:50:01|
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きなくさい世界

 一年ほど前でしたか、世界経済がきな臭くなってきた。
と書いた覚えがあります。インフレと景気後退が同時に
起こる世界。いわゆるスタグフレーションの世界が現実
に起こっています。
 今は、きな臭いなどというのは、とっくにとおり越して
まさにお隣で大火が炎上中です。金融機関どうしの
信用が落ちて、流動性の供給が滞る。
税金を投入して大きくてつぶせない金融機関を
政府が支える。いまお隣の国で起きていることは、
わが国がいつか通ってきた道。
あの当時、お隣の国は、日本発の金融恐慌を心配
して、あれこれ指図してきたはず。
その国が今、自ら起こしたバブルで、苦しんでいるのを
見ると、まさに、歴史は繰り返す。と言わざるを得ません。
 それにしても、おとなりの国は、当時のわが国の苦しみ
を手本としなかったのでしょうか。
 当時「はげたか」と言われた外資が日本を狙った
ように、今は、日本の資本が米国の金融部門の一部を
狙っています。
 あっという間の攻守逆転にまるで、オセロゲーム
を見ているような気がします。
 今回の米国発の火事騒動の根っこは何かと言えば
キーワードになるのは、「グリーディー」という言葉。
自らが開発したと称する、「金融工学」に乗って
際限なく欲望を開放したつけがまわってきたとも
いえるでしょう。
 でも、資本主義の世界で暮らすかぎり、どこまでが
「グリーディー」ではなくて、どこからが「グリーディー」
な行いなのかは、難しいところ。だからこそ、一定の
ゲームのルールを決める部門が大事になっている
のでしょう。
 今になって、グリーンスパンを引っ張りまわしてきて
非難するのもいいのですが、当時は、彼は、資本主義
の守護神とあがめられていたはずです。
 かの国の国民はグリーンスパンのことを非難する前に
自らがルールを決めなかったことを悔い改めたほうが
よいでしょう。
そして、世界が決めたルールも守るようにしたほが良いの
でないでしょうか。
 例えば、二酸化炭素の排出に関することとか。
  1. 2008/09/28(日) 15:43:50|
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正しい経営

 台風一過の良い天気になりました。
今年は上陸した台風は少なかったように感じます。
まだ油断はできませんがね。
 それにしても、日本はどうなってしまったのでしょうか?
事故米が不正に流通していた事件は、底なしの
様相でひろがりをみせています。
とうとう自殺者までだしてしまいました。
 米は言うまでもなく日本人の主食です。
それは、単に食べ物というだけにとどまらない
日本人にとって精神的な意味あいを含む食べ物です。
その米を舞台に長年堂々とした不正が行われていた
というのですから、その根は深いといえるでしょう。
 おそらく当事者にも、何がしかの言い分があるのでしょう。
その流通が利益がでない構造になっているのかもしれません。
国際的な競争にさらされた日本の農に関する弱点が
そこにあるのかもしれません。
 しかし、最も基本的なルールを破ってしまった責任は
重いといえるでしょう。仮に、そのビジネスが利益がでず
にビジネスがなりたたないのなら、その舞台から撤退するほうが
よかったはず。
 今日、わたしたちは、国際社会のなかで一定のルール
をもったビジネスというゲームをしているのだということ
を理解しなければならないと思います。
 ゲームであるかぎり、ルールがあります。ルールを守らない
ゲームプレイヤーをいつまでも市場においておくほど
今日の国際市場間の競争環境は甘くないともいえるでしょう。
三笠フーズの社長や、ミートホープ社の社長は、内部告発さえなければ
と思っているかも知れません。でもそんな考えは今は
通用しません。日頃から正しい経営をし、ゲームのルール
を守ることを高らかに市場に喧伝できるプレーヤー
だけが、その市場でプレーすることを許されるのです。
 正しい経営をしましょう。
 仮に、それで経営できなければ、私は潔くゲームを止めることを
選択します。
  1. 2008/09/20(土) 17:06:52|
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喪主ご挨拶

 9月4日通夜、5日告別式でした。
多くの方のご出席ありがとうございました。
告別式での喪主挨拶全文をここに掲載させていただきます。



本日はお忙しいなか、故人澄子のためにご会葬いただきまして誠にありがとうございます。
ご丁重なるお見送りを受けまして、故人もさぞ満足していることと存じます。
 澄子は、昭和4年10月に生をうけ、平成20年9月2日に78歳を一期として
永眠いたしました。戦中戦後の混乱期に青春時代をすごし、
しかも母子家庭という環境のなか、相当な苦労があったということを聞いております。
母は大変穏やかな性格で何にたいしても激することのない、温厚な性格でした。
ある日、私の中学校時代に若者言葉として、何かについて「ミジメだね」と
軽い調子で言ったことがありました。母は、諭すように「惨めというのは
そんなもんじゃないよ。」といつにない強い口調で言い返しました。
そのとき私は、その母の言葉のもつあまりの重さに愕然とし、
母の歩んできた辛酸と苦労の日々を一瞬垣間見たような気になり、
返すことばがなかったことを覚えております。
 母は、戦後の色濃い時期に父清司と結婚し、昭和29年この地で商売を始めました。
そして、並々ならぬ努力の末、多くの方に支えられながら、
現在の弊社の礎を築いてくれました。それは、内助の功という言葉では、
とても言い表せない努力と苦労の連続であったことは、
傍らで見てきた自分が一番良く知るところです。
 自分が今日、こうして会社の代表であるのは、ほとんどが母のおかげです。
母の苦労に比べれば、自分は、母が築いてくれた礎の上に乗る、
でく人形のようなものにしかすぎません。
 そして、今日、故人をお見送りするとき、翻って考えてみますと
母は多くのものを私たちに残してくれました。そのなかで一番おおきなものは何かと
いえば、それは、「愛情」ということばで言い表せるでしょう。
それは、わたしとわたしの家族とわたしたちの会社に、遺伝子としてうけつがれていくでしょう。
 本日はありがとうございました。措辞ではございますが、
遺族を代表し御礼の挨拶とさせていただきます。


  
    合掌
  1. 2008/09/06(土) 08:48:01|
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ウェディング

 今日はおめでたい日になりました。
弊社の社内結婚、しかも新人どうしの結婚式があったのです。
結婚は勢いでするものだと思っていましたが、
最初、話を聞かされたときは正直驚きました。
 とても若いカップルの誕生です。
ちょっと戸惑いました。
そしてこのカップルを結んだきっかけが自分であること
にまた少々の戸惑いを感じました。
ひょっとすると、自分がいなければ成立しなかったかもしれません。
 おめでたいことです。心から祝福してあげたい
と思います。
おめでとう!
末永くお幸せに!

DSC_0818.jpg
  1. 2008/08/23(土) 14:15:37|
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